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本品は、李朝初期──15世紀前半に制作された白磁の丸壺です。胴は柔らかく張り出し、やや下膨れの丸みを帯びながら、口縁部に向かって控えめにすぼまる姿をとっています。全体に漂うのは、造形としての緊張ではなく、均整の中に宿る呼吸のような動勢であり、触れずとも静かに広がる気配が器の輪郭を柔らかく包んでいます。
白磁釉は厚く掛かり、乳白色の中に淡い青みを含んだ柔和な色調を見せています。底部には釉掛けを避けた焼成痕があり、伏せ焼きの技法によって焼かれたことが確認できます。
李朝初期の白磁は、元・明の技術的影響を受けつつも、様式の模倣から精神の体現へと向かう途上にありました。朝鮮独自の倫理観、特に儒教的な節度や中庸の思想が、器物においても静かな形となって現れ始めた時期に属します。本品のような無装飾の白磁壺は、そうした精神の結晶といえるもので、実用性を超えて「象徴としての器」の相を帯びていると言えるでしょう。
当時、朝鮮王朝は朱子学を国教と定め、社会の基本理念として内省・自律・礼法の体系を徹底しようとしていました。文人の階層においては、器物もまた自己の修養の対象であり、華美を廃し、飾らぬかたちに美徳を見出す美意識が広く共有されていたようです。過剰な技巧や意匠を退けることで、かえって器は内面と向き合う「場」となり、本品のような白磁壺は書斎や静室に据えられて、光と影のうつろいに静かに呼応していました。
内に満ち、外に語らぬ──丸壺という造形は、染みや歪み、釉薬の不均質さといった偶発性すらも拒まず受け容れ、むしろそれらを通して自然に従うという精神を映し出しています。とりわけ釉肌の奥から静かに浮かび上がる淡い染みは、長い時間を器がその身に受けとめ、沁み込ませてきた痕跡であり、器そのものが記憶を宿しているようです。完璧を避けた造形のなかに、かえって深い均衡が立ち現れていること──そこに、柳宗悦が「人を清める器」と称した李朝白磁の本質があるのかもしれません。
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その美意識は、物の表面的な華やかさや技巧性にではなく、人の内面を静かに支えるかたちやありように重きを置くものです。器物や家具は、ただ使うための道具ではなく、日々のふるまいや心の状態を整える“道場”であったのかもしれません。文人の書斎に置かれた素朴な壺、簡素な机、飾りのない筆架──それらは、視線の先にある対象であると同時に、自身の姿勢や思考の鏡でもあったのです。
李朝時代の工芸品が「語りすぎない佇まい」を持つのは偶然ではありません。それらは、人の精神性と並走することを目的に生み出されたものであり、見る者を圧倒するのではなく、共に呼吸し、静かに整えるための存在だったと言えるでしょう。
たとえば白磁においては、釉薬のかすかな流れ、胎土の揺らぎ、形のわずかな崩れといった「非意図的な現象」が、そのまま良しとして受け止められました。そこには、完全性や均一性こそが価値であるという近代的な美意識とは異なる、もっと広やかな受容の精神が息づいています。この価値観は、自然と人為、美と不完全、物と心のあいだの境界を問い直すものであり、単なる工芸の枠を超え、ひとつの時代精神として息づいていたといっても過言ではないでしょう。
李朝の美は、あえて言うなら「顕示の美」ではなく、「共鳴の美」です。それは物そのものの魅力ではなく、物を通して人がどうあるべきかを問い直す契機としての美。そのために、物は語りすぎてはならず、隙間と余白、そして沈黙を内包していなければならない──そうした思想が、物作りの根底に流れているような気がしてなりません。
こうした価値観は、やがて海を越えて日本にも深く根づいていきます。とりわけ茶の湯の世界においては、李朝の白磁や粉青沙器が桃山時代にはすでに用いられ始めており、唐物の荘厳さとは異なる、素朴で静かな趣が受け入れられていきました。「語らぬものに心を澄ます」という茶の湯の感性は、李朝の器が湛える沈黙や不完全さと深く響き合い、そこに侘び寂びの精神を見出すまなざしが育まれていったのです。
さらに近代に入ると、柳宗悦や河井寛次郎ら民藝運動の思想家たちが、李朝の器に「人を清める力」「あるべき生のかたち」を見出しました。工芸が忘れ去られつつあった時代にあって、それらは単なる古器ではなく、生きる姿勢そのものを映し出す存在として、深い共感と敬意をもって迎えられたのです。
現代に生きる私が、李朝の工芸品に触れるとき、その静けさにまた、心が動かされます。そこには、人がどう生きるか、どう在るべきかを問いかけたひとつの時代の思想が宿っていて、それは今なお色褪せることなく、確かに響いています。
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