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安土桃山時代に南蛮文化圏から伝来した木彫のキリスト磔刑像です。高さ約36cmの堂々たる姿で、十字架に架けられたキリストを表しています。現在、両腕部は失われていますが、表面には当時施された彩色の名残がところどころに残っています。その顔立ちは苦難に耐える静謐な祈りの表情を湛え、見る者に語りかけるような深い眼差しが印象的です。朽ちた木肌と剥離した顔料が長い歳月の経過を物語りながらも、崇高な聖性と静かな存在感を保ち続けています。
16世紀半ば、フランシスコ・ザビエルの来日(1549年)に始まったキリスト教の宣教は戦国乱世の中で瞬く間に各地に広まりました。安土桃山時代には大名から庶民に至るまで多くの信徒が生まれ、南蛮貿易によってもたらされた聖画や聖像は宣教と信仰の拠り所となりました。京都や長崎には教会堂(南蛮寺)が建てられました。私も、京都のとある旧家で、庭の復旧のお手伝いをさせて頂いた際、草引きをした庭から、十字の刻まれた石灯籠を目にしました。新たな祈りの文化が海を越え、やがて本州にまで伝播し、日常生活の中に静かに根付こうとしていたのでしょう。
当時の宣教師たちは日本の工匠に十字架像や聖母像、祭壇具などの製作を依頼し、漆工芸の蒔絵で装飾を施した祭壇や書見台なども作られました。こうして生み出された南蛮美術の品々は、異国の宗教的精神性と日本の美意識とが融合し、信仰と日常を結ぶ象徴として人々に受け入れられたと考えられます。 しかし、この新たな信仰の歩みには受容と葛藤の歴史が伴いました。織田信長の庇護もあって一時は隆盛したキリスト教でしたが、豊臣秀吉はその布教拡大と欧州勢力の影響に警戒を強め、1587年に宣教師追放令(伴天連追放令)を発して信仰を禁じ、1597年には長崎でカトリック信徒26名を磔刑に処しました。その後、江戸幕府の下で徐々に禁教令が広がり、多くの信徒たちは潜伏キリシタンや、隠れキリシタンとなり、密かに信仰を続けました。
腕なきこのキリスト像も、そうした迫害の嵐の中で損壊し、あるいは発見を逃れるため、意図的にその姿を変えられたものと推測されます。それでもなお、残された御顔の穏やかな表情からは、長い試練の中で祈り続ける信仰の強さが伝わってきます。長い歳月を経て朽ちながらも、なお静かに聖性を纏っています。
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