






















奈良-平安時代 須恵器叩文壺(710–1185CE)
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須恵器は、5世紀初頭の古墳時代中期に、朝鮮半島の伽耶地方から伝来した高温焼成陶の技術を基に、日本列島で独自の展開を遂げたやきものです。鉄分を含んだ胎土を、丘陵の斜面に掘られた窖窯で焼き締めることで、赤土ではなく青灰色の堅牢な器体が生まれ、さらに轆轤の導入により、精密な造形が可能となりました。当初は王権に近い支配者層の墳墓に副葬される威信財として用いられましたが、やがて寺院・官衙、そして民間の生活へと用途を広げ、時代とともにその意味と価値を大きく変えていきます。
本作は、須恵器最大の生産地のひとつである福岡市域から出土した、奈良〜平安期の壺形容器です。肩から胴にかけて張りをもたせた造形には、のちに中世陶へと受け継がれる様式の萌芽がうかがえ、過渡期ならではの柔らかさと緊張感とが同居しています。
外面は、焼成時の酸素量を抑えた焔によって焼き締められた青灰色の地肌を基調に、火変わりや長年の風化によって褐色がにじみ、静かな景色を描いています。轆轤の回転にともなう螺旋や、歪みを含んだ口縁部には、かつての工人の手の癖と、窯の中で起きた偶然の作用とが重なり合って、素朴で豊かな表情を宿しています。
なかでも目を引くのは、器の内底一面に浮かぶ螺旋状の文様です。須恵器における「叩き文様」は通常、器の外面に現れるものですが、本作では、内部から当てられた櫛目状の締め具か、刻線を刻んだ円盤状の工具によって、まるで旋律のように繰り返される同心円の痕跡が器内に残されています。
このような痕跡は、本来、乾燥時のひび割れを防ぎ、器壁を均一に締めるための機能的操作にすぎなかったはずです。しかし、現代のまなざしのもとでは、それはあたかも、工人が土の内奥に無心に描き残した素描のように映ります。平安時代に入り、須恵器は次第に民衆の生活に浸透し、甕や壺といった容器が集落の中で日常の器として用いられていきました。官から民へと器の役割が移り変わる中で、造形は機能に従って簡素になりながらも、そこにこそ普遍的な美が息づいていきます。意図せぬ工程にひそむ美しさ──それは、のちに「用の美」と呼ばれることになる工芸の思想が、すでにこの時代に萌していたことの、静かな証と言えるでしょう。
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